見るものは見られる ― 二重スリット実験における意識と観測の非ユークリッド的解釈

坂口義典 2025 9/6

要旨:

本稿では、二重スリット実験における観測問題を「意識と観測のメタ認知」という観点から再解釈する。従来、観測装置が波動関数の収縮をもたらすか否かという議論が展開されてきたが、本研究は「装置そのものもまた意識の延長としてのソリッド的存在である」という前提に立ち、観測者の存在論的地位を再定義する。特に「見るものは見られる(旧約聖書)」という原理を引用しつつ、意識の役割を数式的に定式化し、デコヒーレンスおよびコヒーレンスの問題を統合的に解釈する枠組みを提案する。

1. 序論

二重スリット実験は量子力学の基礎を揺るがす最も象徴的な問題のひとつである。電子や光子がスリットを通過する際、観測が行われない場合は干渉縞を形成し、観測が介在すると粒子的挙動を示す。この「観測の有無による現象の差異」は、観測者の役割を問い直す根源的問題である。

従来の解釈は大きく二つに分かれる。(1) 観測装置が量子系を擾乱することによる物理的説明、(2) 観測者の意識が波動関数の収縮をもたらすとする心身二元論的説明。本研究は、両者を架橋し「観測装置=意識の延長」とする第三の視座を提示する。

2. 観測と意識の数理的モデル

意識の作用を確率振幅の選択関数として定義する。量子状態を

|\psi\rangle = \alpha |L\rangle + \beta |R\rangle

とする。ここで |L\rangle, |R\rangle はそれぞれ左スリットおよび右スリットを通過する状態である。

観測行為は射影作用素 P として表現され、意識の介入を

M: |\psi\rangle \mapsto P(|\psi\rangle)

と定式化する。ここで P の選択は観測者のメタ認知レベル \mu に依存し、

P = f(\mu)

と記述される。メタ認知が低い場合、観測は単なる二値的選択(L または R)を強制するが、\mu \to \infty の極限においては「L と R の重ね合わせ」がそのまま認識される可能性が開ける。

3. デコヒーレンスとコヒーレンスの統合

従来、デコヒーレンスは量子系が環境と相互作用することによりコヒーレンスが失われる現象とされる。しかし本研究では「環境=観測者意識の外化された拡張」とみなし、次のように書き換える:

\text{Decoherence} = \lim_{\mu \to 0} f(\mu) (|\psi\rangle)

\text{Coherence} = \lim_{\mu \to \infty} f(\mu) (|\psi\rangle)

すなわち、デコヒーレンスは「観測者のメタ認知の不足」によって生じる擬似的な収縮現象である。

4. 神学的補遺:「見るものは見られる」

旧約聖書の「我はあるという者である」「見るものは見られる」という命題は、存在と観測が相互に依存することを直感的に示す。本研究ではこれを「観測者=被観測者」の双対性と対応づける。数式的には次の等式に還元される:

\langle \psi | O | \psi \rangle = \langle O | \psi \rangle

ここで O は観測作用素であり、観測者と対象は可換的関係にあるのではなく、むしろ自己同型的な対応関係にある。

5. 結論

二重スリット実験は「観測装置が波動関数を収縮させる」現象ではなく、「観測者のメタ認知がコヒーレンスを保持または崩壊させる」現象と再解釈できる。すなわち「見るものは見られる」という命題は量子論においても成り立ち、観測者は対象と切り離された外部者ではなく、量子場そのものに内属する存在である。

著作権について

本記事の内容(文章・図・数式・独自用語を含む)は、筆者によって 2025年9月6日に公開されたオリジナルの研究考察です。

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