はじめに
永井均は『なぜ意識は存在しないのか?』において、意識を「存在するもの」として措定すること自体が誤りであると主張する。彼にとって、意識とは「現れそのもの」であり、客観的に対象化できる存在者ではない。この立場は、第一人称的体験の独自性を強調する点で鋭いが、同時に「意識は存在しない」という結論は、哲学史的にも科学的にも一面的である。本稿では、永井の主張を整理したうえで、哲学的・科学的観点から批判的に検討する。
1. 永井均の主張の骨子
永井は、意識に関して次のような立場をとる。
我々は「意識」を物理世界に付け加えられる対象と誤解しているが、それは幻想である。 「なぜ私が私なのか」という独在性の問題が、意識の本質に深く関わっている。 意識とは「現れそのもの」であり、外部から客観的に捉えることはできない。 よって「意識は存在する」と言うのは誤りであり、「存在しない」と表現すべきである。
この議論は、意識の不可視性を徹底させる試みであるが、存在論的に過度に単純化されている。
2. 二層モデルによる整理
意識を「存在しない」と断言するのは、意識の多層性を無視していると考えられる。少なくとも以下の二つを区別すべきである。
内在的意識(クオリア) 赤の赤さ、痛みの痛さといった第一人称的体験。これは永井が強調する「対象化不可能な現れ」に対応する。 外在的意識(状態) 倒れた人への呼びかけや、刺激に対する反応、あるいは脳波やfMRIによる活動の測定によって、第三者が確認できる意識の有無。これは「対象化可能な意識」として科学的・社会的に扱われている。
永井は前者のみを取り上げて後者を切り捨てているが、意識の存在論を議論するなら両面を考慮する必要がある。
3. 哲学的批判
(1) デカルトとの比較
デカルトにとって「我思う、ゆえに我あり」は最も確実な基盤であった。意識は存在を保証する最初の根拠であり、疑うことのできない確実性を持つ。永井がこれを「存在しない」と切り捨てるのは逆立ちした議論である。
(2) カントとの比較
カントは「現象」を可能にする条件として「超越論的統覚」を措定した。「現れている」という事実自体が、意識の統一を前提にしている。永井は「現象」を強調するが、それを可能にする条件を無視している。
(3) 仏教的観点
仏教は「無我」を説くが、同時に「意識(ヴィジュニャーナ)」を否定はしない。否定されるのは永遠不変の主体であり、意識そのものではない。永井は「無我」と「無意識」を混同している。
(4) ヘーゲル的観点
ヘーゲルにおいて意識は自己意識を経て普遍的精神へと発展する。永井の議論は「なぜ私が私なのか」という独在性に固執しすぎており、普遍的契機を無視している。
4. 科学的批判
(1) 神経科学
意識経験と脳活動には明確な相関(NCC: Neural Correlates of Consciousness)がある。 臨床ではGCSスコアなどを用いて意識の有無を判断できる。 脳波・fMRI・PETなどの技術によって意識の状態は定量化可能である。
これは、意識が「外在的には」十分に対象化できることを示している。
(2) 理論モデル
グローバルワークスペース理論(GWT):情報が広域に共有されるとき意識が生じる。 統合情報理論(IIT):統合情報量Φを意識の指標とする。 予測符号化モデル:意識を脳の予測・誤差修正の過程として説明する。
これらは意識を実証的に捉える試みであり、「存在しない」という単純な否定では済まされない。
(3) 量子意識の可能性
ペンローズとハメロフのOrch-OR理論は、意識を量子的プロセスと関連づける。確定的ではないが、量子基盤を考慮するなら、意識は物理的に実在する可能性を残す。
(4) 臨床的操作
麻酔や脳刺激により意識状態を操作できる事実は、意識が因果的役割を持つことを示す。意識は単なる幻想ではなく、神経プロセスに実際の効果を与えている。
5. 結論
永井均の議論は、意識の内在的側面に関する重要な洞察を含んでいる。しかし、
外在的意識は対象化可能であること、 神経科学と理論モデルが意識の構造を説明しつつあること、 量子物理学が新たな可能性を開いていること、
これらを無視して「意識は存在しない」と結論するのは一面的である。より妥当なのは、
「意識は多層的に存在し、内在的には対象化不可能でありながら、外在的には対象化可能であり、物理的基盤と全体性をもつ現実である」
と捉える立場である。永井の議論は部分的には鋭いが、全体としては不十分であると言えよう。
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本記事の内容(文章・図・数式・独自用語を含む)は、筆者によって 2025年9月6日に公開されたオリジナルの研究考察です。
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