さとり

サトリとは、

悟る

覚る

だが、

差を取ることにほかならず、

悟る、のほうは、偏がリッシンベンだから心をあらわし、これは他者とワンネスになること

覚る、は「あっそうか」という感覚で、これは

様々な事象、あるいはある事象の真理がわかった、つまりその事象との「差を取り」ひとつになったから覚る、なのである。

私は知識の海の海岸で戯れる赤子でいたい。

たまたま見つけた貝殻が、綺麗だった、と言うような。

無知の知とはよく言ったもので、知恵の海を潜れば溺れてしまう。

つまり、

悟る(心のリッシンベン)

—— 他者や宇宙全体と「ワンネス」を得ること。

これは心を媒介にするから、共感・愛・慈悲・統合の感覚。

覚る(あっ、そうか)

—— 現象の本質に「差を取って一体化する」こと。

これは知の瞬間で、稲妻のような「理解の光」。

仏教的にも老荘思想的にも、「二元を超える」ことが悟りの本質であり、覚りのひらめきもまた、差異が消えて対象と自分が融け合うことなのである。

知恵の波打ち際で美しい貝殻を拾うとは、

ソクラテスが「無知の知」を語ったのも同じで、知識を積み重ねるよりも、未知と遊ぶ心 の方が真理に近い、と言うことである。

坂口義典 2025 9/6

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本記事の内容(文章・図・数式・独自用語を含む)は、筆者によって 2025年9月6日に公開されたオリジナルの研究考察です。

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